2026年1月にやっと観た映画「国宝」。3時間があっという間でものすごいものを観た、と思いました。映画館で観て良かった。
その上で、旦那から「小説とは結構内容が違う」と聞き、気になったので読みました。
その結果、映画で抱いた感想や疑問がスッキリした気がしたので書き出してみます。
映画を観た感想
ハッピーエンドじゃないよね?
喜久雄は人間国宝になるほど芸を極めてすごい。それは幸せかもしれないけど、色々失いすぎてるような・・・
苦労が多すぎる
喜久雄にとっての雪景色
雪景色=お父さんの死=悲しいもの
だと思ってたのに、
物語の終盤では雪景色=喜久雄が探し続けてきた景色になってた。
なんで?
人間国宝になれるのは取り憑かれたひと
寝てる間もやり続けたい、酷い目にあってもやり続けたい。
そんな取り憑かれたような人じゃないと人間国宝になんてなれないんだろうな。
小説を読んだ感想
喜久雄は歌舞伎の神に全てを捧げて、最後には「完全で終わりのない歌舞伎の世界」に行くために、徳次の乗る車に轢かれて死んだと思いました。
喜久雄には歌舞伎の神様が憑いていたのでは
小説では一貫して、地の文=ナレーションはですます調。噺家みたいなものだと思っていたけど、つまり誰かが説明している形式。
最近読んだ小説「ザ・ロイヤルファミリー」では地の文は栗須さんの言葉だったように、「誰かが喜久雄の人生を語っている」。
けど下巻の後半あたりから、地の文=ナレーションが少しずつおかしくなってきたように思いました。
本日は少し趣向を変えまして、日ごろご案内する一階席ではなく、劇場内を一望できます三階席へお連れしたく存じます。(下巻P360)
さて、ここ歌舞伎座の大屋根の上に立ってみますと、表を走ります銀座の目抜き通り「晴海通り」がようく見渡せます。(下巻P393)
ですからどうぞ、声をかけてやってくださいまし。ですからどうぞ、照らしてやってくださいまし。ですからどうぞ、拍手を送ってくださいまし。日本一の女形、三代目花井半二郎は、今ここに立っているのでございます。(下巻P412)
じゃあ、この語っているのは誰か。
下巻後半での「祇園祭礼信仰記」で喜久雄が雪姫を演じている時、喜久雄はこの語っている誰かと目が合っている。
その一瞬、雪姫の動きが止まり、まるでそこから喜久雄自身が抜け出して舞台に立ち、なんとも不思議そうな顔で、じっとこの天井を見上げたのでございます。
「・・・あんた、誰や?」(下巻P362)
あと、どの箇所かは忘れたけど、喜久雄が「舞台だと客ではない何かにずっとみられている気がする」と言っていたような。
そんな人ではない何か。多分、「悪魔さん」なんじゃないかと思う。
映画を見た時から、「神社にお参りして、どうして『悪魔さん』なんだ?」と思って気になっていました。
小説で喜久雄がお参りした京都の白川の畔の小さな稲荷神社。検索してみたら、芸事の上達を願う場所らしい。
つまり芸事の神様。喜久雄にとっては悪魔にも思える神様。喜久雄はそんな神様と目が合った。「神様が自分をここまで連れてきた」と思ったのだと思う。
喜久雄の人生観は刺青のミミズク
喜久雄が自分の刺青をミミズクにした理由は以下のとおり。
実はこのミミズクという鳥、一度恩を受けた人間は決して忘れないと言われているのでございます。
(中略)命を助けてもらったミミズクは(中略)助けてくれたお礼にと、ネズミやヘビを男に持ってきてくれるようになったそうでございます。
(中略)このミミズクのように生きたいと思いましたし、このミミズクの気持ちこそがこの世で最も尊ぶべきものだと思えたのでございます。(上巻P39)
映画では「ネズミやヘビを持ってきてくれるんやで」みたいな説明をしていたけど、喜久雄自身=ミミズク、恩を受けたら忘れずに差し出す側。
実際、喜久雄は危険と分かっていても辻村さんのパーティーに出席するくらい受けた恩は忘れずきっちり報いてきた。
恩を受けたら返す。だから「悪魔さん」にも
「歌舞伎を上手うならしてください(中略)その代わり、他のもんはなんもいりませんから」(下巻P347)
喜重ちゃんの集中治療室前で綾乃ちゃんに言われた「お父ちゃんがエエ目を見るたんびに、私たちが不幸になる」。
歌舞伎が上手くなるのは神様のお陰。何かを差し出して、その結果、歌舞伎が上手くなったと思ってしまったのだと思う。
だから辻村さんに「お前の親父を殺したのは自分だ」と言われた時、喜久雄は「親父ば殺したんは、この俺かもしれん」と言った。
自分が親父を差し出したから、二代目花井半二郎に繋がり歌舞伎が上手くなったのだと解釈したと思う。
辻村さんは戸惑ってたけど。
喜久雄が狂人みたいになったのは何故か
喜久雄が変わったのは藤娘の舞台に客が上がり込んだ事件から。
舞台と客席の間にあるはずの何かを、男が破って舞台に上がり込んできたのは間違いありませんでした。そこに何があったのか、すでに破られてしまった今、喜久雄にももう見えず、思い出せません。(中略)この歌舞伎という芸能が世に生まれた時からあった何かが、今、自分の目の前で破れ落ちたという感覚を、はっきり感じたのでございます。(下巻P327)
これ以降喜久雄は「実際よりも豊穣な世界(下巻P333)」「桜や雪の舞う美しい世界(下巻P368)」にいるようになる。
これは、客席と美しい世界である舞台との壁を壊されたせいで舞台以上の美しい世界を探すようになったのか。
もしくはこの時点で舞台(虚構)と現実(客席)を破らせるほど、人を狂わせる完璧な芸に辿り着いてしまい、それ以降は「完璧を超えた完璧な芸(下巻P349)」で人の作った枠を超えてしまったのか。
喜久雄が探していた景色
父親を殺したのは辻村さんだと聞いた時、喜久雄はやけに美しい歌舞伎のような父親の死に際を想像し、「そら綺麗やったで。(中略)俺な、あそこに立ちたいねん。(下巻P379)」という。
小説では喜久雄は父親の死に方は見ていないのに、映画版の冒頭のような死に方を想像して綺麗という。
ここではっきりと、雪景色=喜久雄の想像上の「父親の死の場面」=探していた景色 になる。
きっと、「命を差し出す舞台」に美しさを見出してしまった。
いろんなものを神様に差し出して芸を磨いてきて、最後に自分自身を差し出すことでついに美しい世界に辿り着く。
芸のためなら客も要らぬどころか自分もいらない。そんな境地に辿り着いてしまった。
最後の舞台の前、奥さんの彰子を呼んで、
「(役者を)やめたくねえんだ。でもよ、それでもいつかは幕が下ろされるだろ。それが怖くて仕方ねえんだよ。だから(中略)いつまでも舞台に立っていてえんだよ。幕を下ろさないでほしいんだ。」(下巻P388)
喜久雄は役者を辞めたくない、ずっと舞台にいたい。でもいつか幕は下ろされてしまう。だから、幕の下りない舞台に立っていたい。自分の命と引き換えに、永遠に美しい世界にいたい。
最後の舞台に上がっている時点で、喜久雄自身は知らないけれども人間国宝になった。
人間国宝のさらにその先、永遠に美しい世界のために、喜久雄は命を神様に差し出したと思う。
だからと言って本当に狂った訳ではなく、ちゃんと一豊には「お前はここに残れ(下巻P410)」と伝える。
あくまで、自分の道を極めるために自身を差し出すだけ。一貫してミミズクの生き方の不器用な喜久雄だったと思う。
喜久雄の最期は・・・
衣装を着たまま舞台から客席に降り、そのまま銀座のスクランブル交差点に飛び出す。そして車のヘッドライトが阿古屋=喜久雄の顔を白く浮かび上がらせたその瞬間、「はい」と出の合図。
明記されていないけど、「車に轢かれ、命と引き換えの永遠に美しい世界に出ていってしまった」と解釈しました。
この時、喜久雄の人間国宝認定の連絡を聞いた徳次が20年ぶりに中国から戻り、歌舞伎座を目指して渋滞中の道路を進んでいて、車内で秘書と喜久雄の話をしている場面で
男(徳次)の目には歌舞伎座の舞台に立つその役者の姿がはっきり見えてくるのでございます。(下巻P403)
・・・これは徳次が喜久雄を想像している比喩なのか、事実なのか。
私はこれは事実で、徳次の車が喜久雄を撥ねたと感じました。
これまでの喜久雄の人生は徳次の存在が不可欠、役者としても極道としても、喜久雄が進み続けるためには徳次が絶対に必要だった。(映画では徳次は最初しか出ていなかったけど、小説内の徳次のセリフが映画ではいろんな登場人物が話していたほど、徳次のセリフは必要なものばかりだった。)
であれば、喜久雄を人間国宝のその先に進めるのも徳次。徳次にとっては悲劇だろうけど。
印象に残った人たち
万菊
映画でも印象的だった万菊さん。
もしかしたら万菊さんも「永遠に美しい世界」を感じていたのかも。だからそれと距離を取るようにゴミ屋敷に住んでみたり、安宿を終の住処にしたのかも。でも、そこは役者、歌舞伎が憎くてもやり遂げる役者らしく最後はきちんと化粧をして、出の準備を整えて、死んでいったのだと思う。
竹野
映画ではちょっと憎いけど良いやつという印象だった竹野。
小説では俊介復活劇のために喜久雄を悪者に仕立てたりしてなんてやつだ!と思ったけど芯の所では喜久雄を依怙贔屓していた、結果根は良いやつ。
喜久雄の人間国宝決定通知を見た時の竹野のセリフで泣きました。
「でも、もうこれでいい。三代目よ、もうこれで十分だろ。お前はよくやった。本当によくやったよ。この五十年、お前が戦ってきたその姿、俺だけじゃない、みんなが忘れるもんか。」(下巻P390)
映画最後の鷺娘で喜久雄の衣装を切り替える黒子の人
映画クライマックスの鷺娘、真っ白な衣装になるシーン。黒子の方が衣装を整え、喜久雄の肩をポンと叩くのを合図に衣装がバッと変わる所。そこがすっごくかっこよくて、プロの仕事を感じてとっても印象に残りました。かっこよかった・・・。
まとめ
ハッピーエンドじゃないけど、喜久雄は望んだ世界に行けた。
望んだ世界は、例えるなら映画冒頭の父親の死に際のような世界だった。
神様に取り憑かれたような喜久雄だから人間国宝にまでなった。
小説を読んで、映画でもった感想の答えを掴んだ気がします。
実際のところは綾乃ちゃんは謝罪の手紙をくれたし喜重ちゃんは命に別条はないし、喜久雄のこれまでの人生の苦労や周りの不幸が全部喜久雄のせいな訳はないんだけれども・・・。
ものすごく重くて深い物語でした。映画も小説も知って良かった。



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